おかゆにっき

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母のこと

私はいつから母親を「お母さん」という生き物ではなく、一人の人間として見ることができるようになったのだろう

物心ついたときから、大変甘ったれた子供だった。母親にかまわれるのは当然のことで、話しかけられると適当な返事をするくせに、自分が話しかけて答えられないと泣きわめくような。独占欲や猜疑心も強かったのではないだろうか、私はさっぱり覚えていないのだが、幼稚園のお遊戯会で「母さんが自分じゃない子ばかり見ている」と舞台の上で泣きわめいたらしいから子供の嫉妬はあなどれない。幼稚園児の母親がお遊戯会で自分の子供以外の何を見るんだよと突っ込みたくなる、恥ずかしい思い出だ。覚えていないことがますますもっていたたまれない。

私にとってお母さんとは絶対に裏切らない人であり、絶対に間違わない神様であり、問えば答える人であり、自分の身体の一部だった。 私を育て、慈しみ、守る何もかもがお母さんだった。食べさせられるもの、飲まされるもの、寝かされるもの、公園で見るもの、道端に咲くもの、自分が作ったもの、転んだときの痛みさえ、母親を通して感じていたように思う。幼い私にとって母とは「お母さん」という名の世界だった。 その感覚は成長と共に薄れはしたが、全くぷつりと切れることはなかった。制服を着る年になってもやはり母親は自分の世界と密接に繋がっていたし、その外で起こる全ては「秘密」というカテゴリーに分けられた。母と繋がっていない、自分ともしくは自分以外の誰かでできた世界は、まだイレギュラーな存在だった。

最初の転機は何だったか。確か、母の学生時代のアルバムだった気がする。何かの折に見せてもらったそれは母ではない誰かの記憶でいっぱいで、笑って話を聞きながら、しかし違和感でもやつく胸を抱えた。それでも確かに母の記憶である“それ”を否定だけはすまいと強く自分に言い聞かせたあのときが、「娘に思い出を否定される母」の気持ちを慮った最初の出来事だったかもしれない。あのときのあの思いは決して劇的な衝撃は与えなかったけれど、確かに「個」としての母、引いては「個」としての自分を意識するきっかけになったように思う。

今の私はお母さんという世界から完全に切り離されている。母親を何でも知っていて何でもできる神様ではなく、一人の、普通の、でも大切な人間だと認識できている。世界の全てが最強の味方でいるという、あのたまらなく幸せで、これ以上ない安心と信頼に包まれた時代は永遠に戻らないけれど、一人の、普通の、大切な女性であるところの母を敬い、気遣い、時に批判したり、同じレベルで笑ったりできる今このときも、とても大切に思えている。それが出来るようになったことを、本当に嬉しく思っている。