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おかゆにっき

考えたこと思ったこと不思議なことをまったりもだもだ

先生と名のつく人を好きになってしまう病気

 おひさしぶりです
 おかゆです
 よく考えると新年一発目の話題がこれっていかがなものかと思わんでもないのですが、今日は私の恥ずかしい病気の話をしようかな~と思います
 特に実のある話になる予定はないので、暇潰し程度の気持ちでどうぞ


 私は物心ついた時から、先生と名のつく人をとにかく好きになってしまう子どもでした
 それこそ幼稚園に通っている時から、友達と遊んでようが一人で絵本開いてようが、先生が近付いてきたら一瞬にしてそちらに意識が飛ぶ子どもでした
 幼稚園の記憶なんてほとんど残ってませんが、掲示物を貼るためのセロテープを切って渡すお手伝いができたことが物凄く嬉しかった記憶だけ鮮明に残っています

 小学生の時に「会釈」という制度を覚えてめちゃくちゃハマりました
 給食当番で小さいおかずをかかえて歩いていたら廊下で先生が歩いているのを見かけて、会釈したさに近付いたら自分の進路からおもいっきり外れてて、ぺこっと頭下げてからそれに気づいて猛烈な羞恥心に襲われたくらい会釈が好きでした(まだ羞恥心引きずってる)
 
 中学ではよくかまってくれる先生がいて、厳しい方だったので生徒からは大体好意は抱かれてなかった上、苦手な数学を受け持っていた先生だったのに廊下でみかけたらめちゃくちゃ笑顔になるくらいなつきました
 他の先生も人気不人気関わらずどの先生にも露骨に媚びてた気がします(まだ羞恥心引きずってる)

 高校の時は新任の先生の名前をなるべく早く覚えたくて机にフルネームを落書きしたら、クラスのギャルに見られて「おかゆさん○○先生のこと好きなんだ~」とか言われて死ぬかと思いました(まだ羞恥心引きずってる)
 以前、「いまだに覚えてる先生の話」という記事で書いた4人の妻を持つ男の話をしてくれた社会科の先生はもうほとんどファンだったんだろうなと思います
 授業終わるたび話しかけてたので、今思うとさぞ迷惑だったろうと……orz(羞恥心引きずってる)

 大学ではなかなか教授と会話できない環境で、だからこそたまに会話する機会があると嬉しすぎてその話を聞かせられた友達がドン引きしてました
 好きな教授の話は興味に関係なく(いや好きな先生の話は大体面白かったんですけど(釈明))ガッツリ聞いてうなずいたり笑ったりの反応を徹底し、個人的な作品を推敲してもらえたときは1日浮わついていました

 ここまでくると最早病気だろう、と思います
 いわゆる「贔屓にされる生徒」になりたくて仕方なかったんでしょうが、特別問題を起こすタイプでも、特別優秀なタイプでもないごくありふれた学生だったのでそういう位置に座れたことはほとんどありません
 学校という狭い社会の中で最も身近な権力者に好かれたい、というろくでもない欲求ももちろんあったことでしょう(というかこれが大部分な気がします)
 しかしもし自己弁護が許されるなら、育った環境にも原因があるのだと主張したいのです(何に?)

 私が育ったのは四国の片田舎で、周りに同じ学年の子どもがいなかったとは言いませんが、圧倒的に大人の方が多い状態でした
 田舎特有のフレンドリーさは言うほどなかったのですが、知らないおっちゃんとバドミントンしたり、近所の老夫婦に可愛がってもらったり、子どもとの交流以上に大人とふれあって育ったように思います
 両親の勤め先もおおらかだったので、夏休みに会社に行くと話し相手になってくれるおじさんがいたり、時々自宅に飲みに来る顔見知りのお兄さんが遊んで(今思うと以下略)くれたりしました
 子どもにとって、大人が相手をしてくれると言うことはとても意味の深いことです
 基本的に大人と子どもは対等ではありません
 大人にはある程度子どもに気を使って喋る義務がありますし、五才以上の子どもには大人と喋る時確実に「話してもらっている」という意識がどこかにあります(私が卑屈な子どもだったのかもしれませんが(笑))
 幼い私には、「中々かまってくれない大人が、自分と会話してくれる喜び」というものが、大変大きな快感だったのだろうと思います

 私には兄弟がいるのですが、私以外みんな男の子で、中々男子の遊び(ゲームやカード)にまざれなかったことも要因の一つかもしれません
 私は遊戯王が楽しめないタイプの女子でしたし、ポケモンは愛でるものでした(今はそうでもないけど)
 その点、子ども同士で話す時の様に喧嘩になることも、我慢することも、途中で別の遊びに会話をさらわれることもなく、最後まできちんと聞いてもらえ、内容によっては誉められることさえある大人との会話は、私の承認欲求をさぞくすぐったことでしょう
 そんなこんなで大人大好きに育った私が、子どもばかりの学校という環境の中で、最も近しい大人である教師に好意を抱くことは、ある種自然な流れだったはずです(と思いたいだけとか言わない!)

 しかしそこはそれ、先生もお仕事です
 別に何の問題も何の長所もない生徒の一人にかかずらわっているひまはありません
 今まで大人にかまってもらう機会ばかり手にし続けていた子どもには信じられないほどそっけない(当事者比)対応に、(覚えてないけど)ショックを受けたことは想像に難くなく、またこれも自然な流れとして、人間は手に入らないものほど欲しがる生き物ですから、ますます先生にかまってほしくて仕方ない子どもが一人出来上がることになるわけです

 
 さて、まさか自分の病気のカルテを作ることになるとは思っていませんでしたが、そんな感じで私は「先生と名のつく人を好きになってしまう病気」にかかってしまいました
 元々大人(この場合は自分より目上の男女)が好きというところに、先生という+αがつくといろんな意味で目も当てられないことになってしまいます
 直したいのは山々なのですが、三つ子の魂なんとやらと申しますし、どうしても直る気がしません
 ……ある意味フケ専の育ち方として良い資料にはなったかもしれませんが


 なんでしょう、まとめるとしたら、
「こんなに大人が好きになれるくらい素敵な大人が周りにいて良かったな―」とか、でしょうかね?


おわり