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おかゆにっき

考えたこと思ったこと不思議なことをまったりもだもだ

ゲームについて思うこと

 こんにちは、おかゆです。今回はゲームについて思ったことを書いて行こうかな―と思います。

 ちなみにせっかくこんな時期に書いたのにポケモンを若干ネガティブに書いていることにさっき気付きましたすいません。ポケモン大好きです。(アルファサファイア買ったよ!)

 

 

 まず最初に言っておかなければならないことは、私は特別ゲームが好きとか得意とか、反対にゲームなんて大嫌いで早くこの世からなくなって欲しいとか思っている訳ではないことです。テレビゲームは一年以上やってないんですが、3DSは現役で使っているので、ゲーマーというほどプレイしてる訳ではありません。が、全くやらない人から見ると「ゲームが好きな人」なのかもしれません(まだるっこしい)。

 さて、ゲームの地位は昔ほど低くはありませんが、今も特別高い訳ではないと思います。モンスターハンターや携帯電話でできるゲームなんかはリア充もやってるとか聞きますし、私の周りにもリア充プレイヤーはいるのですが、それでも二十歳を超えてポケモンやってるとは言い辛い気がします。ギャルゲー、乙女ゲーに関してはやってるだけで迫害されそうなイメージすらあり、「クラナドは人生なんだよぉ!!」などと絶叫しようものなら宗教裁判にかけられそうです(!?)。

 なにを隠そう私の父がゲームを若干小馬鹿にしてる人で、DSをいじっていると「まだそんなものやってるのか」とか言ってくるタイプでした。身近にそういう人種がいたせいで逆に偏見がある可能性も否めないというか、実際の世の中とは異なるかもしれませんが、少なくとも私は初対面の人と話すときにゲームの話題は選ばないと思います。

ゲームに意味はあるのか

 解りやすいので父をこのまま例にしますが(あ、おかゆと父は仲良しですし、父は少し古い考え方の人なだけなので特別文句があるとかではありません。あくまで話をするのに便利だから書いているだけです)、曰く「あんなものやっても時間の無駄だし、現実にはなんの影響も無いのに必死になってやる必要性が感じられない」のだそうです。釣りがしたいなら実際海に行って釣りをすべきで、釣りあげたって食べられもしない魚を画面の向こうで釣ったって仕方がない、と。

 まぁ読む方それぞれにご意見はあると思いますが、私もこの話には首をかしげてしまいます。一番思うのは、そんなもんゲームに限った話じゃなくね?というところです。

 音楽を聴く、友達とくだらない話で盛り上がる、小説を読むなど、この世には「それをやった意味や成果」が見えにくいものがたくさんあります。音楽で心が豊かになったり、小説で知識が広がったりした証拠なんて見せられません。同じように、ある素晴らしいストーリーのゲームをやったことによって、心が豊かになっていない証拠も見せられないのではないでしょうか。特にそういったストーリーのあるゲームに関しては、最近プレイヤーを本気で号泣させにかかってくるというか、終了後に映画一本観終わったような気分にさせてくるものも増えているように思います(おかゆは世界樹の迷宮Ⅳに危うく泣かされかけました。そういえば世界樹の迷宮Ⅱのリメイク版 新世界樹の迷宮ファフニールの騎士が来たる11/27に発売されますね。ね!)。

 さらにもっと根本的な話をすると、ゲームをしたり、映画を見たり、マンガや小説を読んだり、音楽を聴いたり、友達と話したりすることに意味や成果なんているのか?とも思ったりします。

 この中で一番わかりやすいのは友達と話すことだと思うんで例にすると、「あなたはどうして友達と話すのですか?」という質問に「友人との信頼関係を育みつつ、他人と交流することで見識を広げ、自分の心を豊かにするためです」なんて答える人はいないでしょう。というかいたらイヤすぎます。同じようになぜ音楽を聴くのか、小説を読み、映画を見るのかと聞かれたら、大体の人が真っ先に「面白いから」「好きだから」と答えるのではないでしょうか。

 ごく稀に「面白いから」だけで動く人を批判する意見を目にしますが、私は楽しいことに一生懸命になる人が時間を無駄にしているとは思いません。ただ楽しいこと、好きなことに夢中になっている時間はその人にとってかけがえのない大切な時間だと思っています。逆に、興味も無いのに「役に立つから」と見たくもない映画を見せられたり、本を読ませられたりする時間の方がもったいないと思うのです。

 個人的には小説を中心に本が大好きなので出来れば読んでもらいたいのですが(唐突なステマ)「どうしても苦手だ」「好きになれない」と言っている人に無理やり押し付けてもますます苦手意識が育ってしまうだけだし、本が好きな人からすれば自分が好きなもののことを理解してもらえていないように感じてしまって(実際には好みの問題だからどうしようもないことなのに無駄に)傷つく原因になったりするので、お互いがお互いの領域を尊重しあうというか、「機会があったら見てみてね」「気が向いたら覗いてみるね」くらいの距離感でいたら良いんじゃないかなあと思います。食わず嫌いの人は夢中になれるかもしれないのでぜひ読んでください。(押しつけ)いやまぁ選択することも含めてその人の自由だとわかっちゃいるんですけど!つい!(反省中)

 ……ものすごく話がそれましたが、こうなってくると時間の無駄な趣味なんてない気がしてきます。と言うか、その人にとって本当に楽しい時間なら、無駄とかそうじゃないとか、些細な問題に見えてきます。その人が本当に楽しいと思っているなら、延々好きな作家の出した本を並べ替え続けるとか、ゴルフボールの凹んだところをマジックペンで塗って行くとか、畳の目を数えるとか、そんな趣味だって否定されるいわれはないのではないでしょうか。

 

ゲームは人と関わらない?

 他にも、「ゲームをするくらいなら実際に人と関わった方が良い」という意見もよく言われます。が、これに関してはそろそろ言われなくなっても良いのではないでしょうか。世はまさに協力プレイ時代です。友達との通信プレイはもちろん、すれ違い通信による「全く見ず知らずの人との協力プレイ」まであります。自分をぼっちだと信じている人さえ、すれ違った人に助けてもらってゲームを進めているような時代です(全部3DSの話なんですけどね!)。

 そうでなくても、そもそもゲームはコミュニケーションツールとして大変優秀です。初めて会った人と趣味が同じだと会話が弾むように、お互いプレイしたことのあるゲームが一本あると打ち解けるスピードも変わってきます。メジャーなゲームならプレイ人口も多く、それだけ仲良くなれる可能性のある人も増えてきます。

 さらに、たとえ周りに好きなゲームをやっている人が一人もおらず、全くすれ違い通信を活用せず、友達との協力プレイもしなかったとしても、ゲームをやっているということは、製作者と関わっているということだと私は思うのです。

 なにいってんだこいつ。とお思いでしょうが、簡単に言うと「小説で「作者の心情を答えなさい」という読み方が有りで、読書が作者の心情に触れることなら、ゲームでだって音楽でだって、同じ読み取り方しても良いんじゃないか?」ということです。この機能はどうしてこんな風になってるんだろう? とか、このキャラクターはどうしてこんなものの考え方をするんだろう? など、人が考え、人が作っている時点で製作者の考えを読みとって楽しむことはできるのではないでしょうか。

 

 とまぁ長ったらしく色々書きましたが、だからといってゲームの世界にのめり込み過ぎて帰ってこられなくなるのもどうかと思いますし、逆に「だからゲームをもっと崇め立て祀れ!」とか言う話でもありません。また、他にもゲームに影響されてどうこうとかいやゲームで発散されるからどうこうとかそういう話にも興味があるんですが、それはまた別の機会に(もう疲れたとかじゃないよ?ほんとだよ?)。

 

 重度のゲーマーでもなくゲーム嫌いでもない私が、日頃ゲームについて思っていることでした。おしまい。