おかゆにっき

考えたこと思ったこと不思議なことをまったりもだもだ

弱ったココロは思考しないという話

ココロが弱っているときに物考えしようとすることほど愚かな行為もない。基本的に弱ったココロは賢くない。公平なものの見方もできない。「マイナス思考」なんて言葉があるけど、マイナス思考は思考していない。ただの自虐や自傷である。
ココロが弱っていると批評なんてできない。批評は言葉と言葉、思考と思考を押し合わせ、すり合わせ、意見と意見を過不足なく理解して戦わせなければいけないのだから、体力も気力も足りないココロにできるような、簡単な仕事ではない。不十分な力でろくに考えられもせず出される答えなんて批評ではなく批判だ。批判にしかならない。しかも根拠なく後ろ向きな腹立つ批判である。聞かされる方はたまったものじゃない。
ココロが弱っているときに物考えなんてするべきじゃない。大事なことならなおさら、まずは美味しいものを食べて、できれば普段は手を出せない牛肉なんか食べちゃって、食後には甘いアイスクリームをのんびり食べながら半身浴とかして、ホットミルクを飲んでからいつもより早い時間に布団に入り、大好きな小説をまったり読みながらうとうとして、たっぷり睡眠を取ってからいつもより少し早い時間に起きて、家中のカーテンを開けて天気の良い日の朝の日差しを浴びたら、いつもよりちょっと品数の多い朝食を食べて、そしてようやく考える準備が整ったと思うべきだ。
ココロの健康は身体の健康に直結するわけではない。ココロが疲れていても身体はそれなりに動いてしまうことの方が多い。でも身体の健康はココロの健康に直結している。お腹がいっぱいで身体がぽかぽかしているときに暗い気持ちになって落ち込める器用な人はそういない。食事と睡眠が重んじられるのは、身体にもココロにも有効な特効薬だからだ。またココロは環境にもひっぱられやすい。夜中にスタンドライトだけつけた薄暗い部屋は集中するにはもってこいだ。ココロは電灯に照らされた所しか見られない。だから勉強も原稿もマイナス思考も物凄くはかどる。集中して自分を批判し続けるなんて間の抜けたことをわざわざする必要はないと思う。ココロが元気で、自分のことについて深く考えたいなら話は別だけど、ココロが弱っているときに、後ろ向きなことを考えるのなら、せめて朝の日差しの中で考えるべきだ。
弱ったココロに無理をさせて一生懸命考えたってろくなことにはならないんだから、何にしてもとりあえず寝てしまうくらいの対応が一番良い。どんな理由でココロが疲れたか、とか、そんなことは関係ない。どんなに情けない理由でも、どんなに下らない原因でも、ココロが疲れて傷付いて弱っていることに変わりはないのだ。ココロの貧弱さや体力の無さと、今ここで弱っているココロの状態は別問題。ココロを鍛えなければ!という思考はココロが回復してからしないと「ココロが強くなるように不眠不休でいじめ続けよう」みたいなとんちんかんな答えが出てしまう。
ココロは持ち主が思っているほど単純ではないけれど、心配するほど複雑でもない。ココロが弱っているとき、その休め方、元気なとき、その使い方。いろんな方法を試してみて、付き合い方を考えるのも、また楽しい一時だったりするかもしれない。