おかゆにっき

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かっこわるいけどかっこいい人の話

基本的に正しくてかっこいいことはやるのは難しくても苦痛ではない。やればやるだけ自信も評価もついてくるし、辛くてくじけそうになったときは助けてくれる人もできたりする。正しいことをするのは難しいからもちろんそれに関する大変さはあるけれど、自信と誇りを持って生きられる。それはとても素敵なことだ。
一方、正しいけれどかっこ悪いことをするのは難しい上に苦痛だ。やればやるほどなめられたり笑われたりすることも増えるし、辛くてくじけそうになっても慰めてくれるのはお酒だけ、なんて話も無くはない。正しいことをしているのに認められることは少ないし、何より自分の中で消化するのに時間がかかる。誰かがどうしてもやらなければならないことをやっている。それなのに自分すら自分を認めてあげられなくて、それでも歯を食い縛ってやらねばならない。
もちろんそれができる人は厳密にはかっこいい人だ。でもそれを見抜いて評価してくれる人はそう多くない。みんなヒーローみたいにかっこよくて強い人が大好きだからだ。できないからこそ最高に強くてかっこいい人に憧れるのだ。もしかしたら自分にもできるかもしれないけど端から見てるとかっこ悪い。だからやりたくないけど、それができてる人はなんだか妬ましい(かっこいいからね)。だからことさらに笑って「かっこ悪い」と言いたくなる。嫉妬だと気付かないままに、もしかしたら自分が憧れたかも知れない人を笑うのは悲しいことだ。そしてそんな悲しい人が吐いた言葉で、かっこ悪いなあって思いながらそれでも必要なことをきちんとできる強くてかっこいい人が笑われたりバカにされたりして疲弊するのはもっともっと悲しいことだ。
世の中にはこんなかっこ悪いけどかっこいい人がきっとたくさんいる。そしてその中の多くの人が「かっこ悪いなあ」と思いながら、自分がかっこいい人であることに気付かないまま生きている。それでも歯を食い縛って頑張っている。私はそんな人たちを見付けられる人間になりたいと思うし、かっこいいなと尊敬している。