おかゆにっき

考えたこと思ったこと不思議なことをまったりもだもだ

ブログデザイン変えたよ~ と、書くことない話

 以前うっかり間違えてブログのデザイン変えちゃって挙動不審になったことがあるんだけど、それからずっとそのまんまだったんで、ブログのデザイン変えました。

 心機一転?じゃないけど、気分変えたら少しくらい続くかなーみたいなふわふわした理由ですが。あと流石にミスの尻拭いしただけのデザインで放置ってのもどうかと思って。デザイン自体はテンプレまんまなんだけど、素人が変にいじるより良いよね(ネガポジティブな意見)

 あと単純に書くこと無かったんで、雑談のネタって意味でも。気軽に変えられて時間も手間もかからず、話のネタにもなってくれるなんて有り難いなー。

 ブログに書くことないって、じゃあなんでやってんだよ、みたいな話になりますが。ROMるとかそういうこと一切しなかったから作法が身についてないんですよねえ。書きたいことはいっぱいあったような気がするんだけど、ここでして良い話しなのか区別がついてなかったり、ここで話そうって頭自体なかったり。なんで、慣れたら五月蠅くなるかもしれない。

 内容は無いんですけどこの辺で。リハビリ編?

93日

放置しすぎだ……明らかに放置しすぎだ……
ブログ始めたー!わー!って気負いすぎたのが原因か知らんけど、なんかかっこいいこと言おうとして失敗して恥ずかしくて消えてる感が数ヵ月前の記事から滲んでて恥ずかしいやら辛いやら(笑)
で、いつまでも更新してなくて場所だけとってんのもなんか女々しいし中途半端だからもうやめよっかなーとか思ったんだけど、久々にログインしたらもう今までのなんやかんやがどうでも良くなってきたからまだなんとかなりそうな予感
以前の記事とか恥ずかしいし邪魔いから消しちゃおっかなーと思ったんだけど、まぁ多分ルール違反だから我慢。過去は変えられなくても、未来は変えられるんだ!!(力強く拳を握りながら)
臭いものに蓋ってのもね、なんかあれだしね
自意識が空回りしてる感もうちょっと抜いていかないとなぁ……はぁ

ウォークマンのイヤホン変えたらめっちゃ音が綺麗になった話

イヤホン変えたらめっちゃ音が綺麗になった。今までは何時どこで買ったのかよく覚えてないイヤホンをわりと長いこと使ってたんだけど(少なくとも一年以上はたっていたはず)差し込む……プラグ?プラグの所からコードカバーがちぎれてきてしまったので買い換えることにしたのだ。ウォークマンにぐるぐる巻き付けて収納していたから根元に負担がかかってしまったのだろう。ごめんよイヤホン、今までよく働いてくれてありがとう

もちろんその辺で買ったイヤホンを延々使い続けるような人間なのでイヤホン事情には明るくなく、万を辞して訪れた家電量販店のイヤホンコーナーで気軽に1000円以上の値札を下げた賞品を見て目玉が飛び出るかと思った
最近はイヤホンも高くなったんだなぁ。前のイヤホン700円前後くらいだった気がするんだけど

あとイヤホンのことをイヤホンと呼ばなくなっていたことにもびっくりした。ヘッドホンコーナーにイヤホンも置いてあって、商品名もヘッドホンだった。ヘッドホンと言えばカチューシャに耳当てついたみたいなアレのイメージだったので(ひどい説明……)これがジェネレーションギャップか、とちょっぴり切なくなったり
とはいえせっかくだから良いものを買って長く使うのも手だ。いやほんとに1000円以下の商品ほとんど無かったからこれが相場なんだなーと理解したってのもあるけど、数点置いてあるギリギリ1000円いかないイヤホンを買うより、税込みで1000円越えるくらいのそれなりな品を買ってみても良いかなーと思ったのだ。
実際に購入したのはグミっぽい不思議な触り心地のイヤホンで、前任が黒だったのでちょっとはっちゃけてピンク色にしてみた。耳の穴にガッツリ突っ込むと言うよりは穴のふちに引っかける感じのものだったので慣れるまでは落っこちそうで怖かったけど最近はすっかり慣れた

で、音質
今まで私が聞いてた音楽はなんだったんだ……というくらい綺麗になった。正直音質がどうこうとかあんまり気にしてなかったんだけど、これからちょっとは考えようと思う。今まで聞いていたのと同じ曲とは思えないくらいいろんな音が聞こえるようになった。楽器の音が一音一音聞こえるようになったというか、いわゆる「生演奏みたいな」という言葉の意味がようやくわかった。以前使っていたイヤホンには悪いが、もう比べ物にならない。大分昔に買ったものだから無理もないとは思うが、進化したんだなぁ、イヤホン。いやヘッドホン

好きな曲を良い音で聴けるのって幸せだったんだなぁ……

京極夏彦ってすげー!

以前から興味のあった京極夏彦を現在進行形でお世話になっている先輩に勧めてもらったので『姑獲鳥の夏』を読みだしてみたんだけど、京極夏彦ってすごい!と思った話

 

凄いと言うのは、あの、頭悪い出だしで申し訳ないんだけど、まず凄い難しい話を冒頭から始めててぶっちゃけ三回以上読まないと理解できない。何を隠そう私はまだストーリーの本題に入ってさえいない。主人公と古本屋の店主が会話してるとこをさまよってるなうなのだ。まあこれは私の頭の出来が(いろんな意味で)すげーってとこもあるんだと思うんだけど、分かるところもあるけど分からないところは単語の分解から始めないと駄目だったりする。

で、そんな難しい話を始める小説を、頭お花畑な私が、内容自体は面白いからどうにか理解したくなって上滑りする視線を無理やりつなぎ止めてなんとか読まないといけない。正直苦しいのに読む気が失せないとか凄い。登場人物二人でなにやら小難しい話を黙々としてるってシーンなのに飽きがこないし、むしろニヤニヤしたり感心したりちょっと怖くなったりで楽しい。し、なんか勉強になってる。またもや頭悪い説明の仕方で申し訳ないけど、知力上がってる感がある。一生懸命読み解いて理解できたときの、納得したー!って気持ち良さは、数学の問題解けたときの気持ち良さに似てる気がする。

で、さっき言った小難しい話をしてる登場人物も凄い。凄いっていうか面白い。何が面白いって、ほんとによくわかんない話してる確実に賢い人たちなのに、「おいおい楽しそうだな(笑)」みたいなテンションで読んでしまう。物書きと古本屋の二人のおじさまなんだけど、古本屋は偏屈というかマイペースというかな、台詞から醸しだされる自由人感がくせになる。物書きはちょこちょこ古本屋を言い負かそうとしたりなんか隠してることを白状させようとして返り討ちにされてて、どことなく漂う苦労人感にニヤニヤしてしまう。まだ読んでないからわかんないけど、古本屋はいわゆるホームズ、物書きはワトソン君なんだろうなーとか思う。よって物書きはどちらかと言うと読者に近い立場の人だから、古本屋を言い負かせそうだとこっちまでちょっと嬉しくなるし、ワナにはめられてると面白い半面すねたい気持ちになったりして。つまり二人とも魅力的で頭良くて笑える素敵なキャラクターなのだ(これから読んでって今のイメージとずれていったら、それはそれで面白いしね)

 

というわけで、まだストーリーの本筋に入ってもないのにやたら難しいし面白いし登場人物のおじさまがおちゃめで素敵だし(笑)京極夏彦すごい!というお話でした

 

 

全部読めたらまた追記とかするかも?

母のこと

私はいつから母親を「お母さん」という生き物ではなく、一人の人間として見ることができるようになったのだろう

物心ついたときから、大変甘ったれた子供だった。母親にかまわれるのは当然のことで、話しかけられると適当な返事をするくせに、自分が話しかけて答えられないと泣きわめくような。独占欲や猜疑心も強かったのではないだろうか、私はさっぱり覚えていないのだが、幼稚園のお遊戯会で「母さんが自分じゃない子ばかり見ている」と舞台の上で泣きわめいたらしいから子供の嫉妬はあなどれない。幼稚園児の母親がお遊戯会で自分の子供以外の何を見るんだよと突っ込みたくなる、恥ずかしい思い出だ。覚えていないことがますますもっていたたまれない。

私にとってお母さんとは絶対に裏切らない人であり、絶対に間違わない神様であり、問えば答える人であり、自分の身体の一部だった。 私を育て、慈しみ、守る何もかもがお母さんだった。食べさせられるもの、飲まされるもの、寝かされるもの、公園で見るもの、道端に咲くもの、自分が作ったもの、転んだときの痛みさえ、母親を通して感じていたように思う。幼い私にとって母とは「お母さん」という名の世界だった。 その感覚は成長と共に薄れはしたが、全くぷつりと切れることはなかった。制服を着る年になってもやはり母親は自分の世界と密接に繋がっていたし、その外で起こる全ては「秘密」というカテゴリーに分けられた。母と繋がっていない、自分ともしくは自分以外の誰かでできた世界は、まだイレギュラーな存在だった。

最初の転機は何だったか。確か、母の学生時代のアルバムだった気がする。何かの折に見せてもらったそれは母ではない誰かの記憶でいっぱいで、笑って話を聞きながら、しかし違和感でもやつく胸を抱えた。それでも確かに母の記憶である“それ”を否定だけはすまいと強く自分に言い聞かせたあのときが、「娘に思い出を否定される母」の気持ちを慮った最初の出来事だったかもしれない。あのときのあの思いは決して劇的な衝撃は与えなかったけれど、確かに「個」としての母、引いては「個」としての自分を意識するきっかけになったように思う。

今の私はお母さんという世界から完全に切り離されている。母親を何でも知っていて何でもできる神様ではなく、一人の、普通の、でも大切な人間だと認識できている。世界の全てが最強の味方でいるという、あのたまらなく幸せで、これ以上ない安心と信頼に包まれた時代は永遠に戻らないけれど、一人の、普通の、大切な女性であるところの母を敬い、気遣い、時に批判したり、同じレベルで笑ったりできる今このときも、とても大切に思えている。それが出来るようになったことを、本当に嬉しく思っている。

弱ったココロは思考しないという話

ココロが弱っているときに物考えしようとすることほど愚かな行為もない。基本的に弱ったココロは賢くない。公平なものの見方もできない。「マイナス思考」なんて言葉があるけど、マイナス思考は思考していない。ただの自虐や自傷である。
ココロが弱っていると批評なんてできない。批評は言葉と言葉、思考と思考を押し合わせ、すり合わせ、意見と意見を過不足なく理解して戦わせなければいけないのだから、体力も気力も足りないココロにできるような、簡単な仕事ではない。不十分な力でろくに考えられもせず出される答えなんて批評ではなく批判だ。批判にしかならない。しかも根拠なく後ろ向きな腹立つ批判である。聞かされる方はたまったものじゃない。
ココロが弱っているときに物考えなんてするべきじゃない。大事なことならなおさら、まずは美味しいものを食べて、できれば普段は手を出せない牛肉なんか食べちゃって、食後には甘いアイスクリームをのんびり食べながら半身浴とかして、ホットミルクを飲んでからいつもより早い時間に布団に入り、大好きな小説をまったり読みながらうとうとして、たっぷり睡眠を取ってからいつもより少し早い時間に起きて、家中のカーテンを開けて天気の良い日の朝の日差しを浴びたら、いつもよりちょっと品数の多い朝食を食べて、そしてようやく考える準備が整ったと思うべきだ。
ココロの健康は身体の健康に直結するわけではない。ココロが疲れていても身体はそれなりに動いてしまうことの方が多い。でも身体の健康はココロの健康に直結している。お腹がいっぱいで身体がぽかぽかしているときに暗い気持ちになって落ち込める器用な人はそういない。食事と睡眠が重んじられるのは、身体にもココロにも有効な特効薬だからだ。またココロは環境にもひっぱられやすい。夜中にスタンドライトだけつけた薄暗い部屋は集中するにはもってこいだ。ココロは電灯に照らされた所しか見られない。だから勉強も原稿もマイナス思考も物凄くはかどる。集中して自分を批判し続けるなんて間の抜けたことをわざわざする必要はないと思う。ココロが元気で、自分のことについて深く考えたいなら話は別だけど、ココロが弱っているときに、後ろ向きなことを考えるのなら、せめて朝の日差しの中で考えるべきだ。
弱ったココロに無理をさせて一生懸命考えたってろくなことにはならないんだから、何にしてもとりあえず寝てしまうくらいの対応が一番良い。どんな理由でココロが疲れたか、とか、そんなことは関係ない。どんなに情けない理由でも、どんなに下らない原因でも、ココロが疲れて傷付いて弱っていることに変わりはないのだ。ココロの貧弱さや体力の無さと、今ここで弱っているココロの状態は別問題。ココロを鍛えなければ!という思考はココロが回復してからしないと「ココロが強くなるように不眠不休でいじめ続けよう」みたいなとんちんかんな答えが出てしまう。
ココロは持ち主が思っているほど単純ではないけれど、心配するほど複雑でもない。ココロが弱っているとき、その休め方、元気なとき、その使い方。いろんな方法を試してみて、付き合い方を考えるのも、また楽しい一時だったりするかもしれない。

ブログのデザイン変えて遊んでたらうっかり保存しちゃって固まった話

タイトルがネタばれなんてもんじゃないくらい内容を説明しちゃってるけど、はい、ブログのデザイン変えて遊んでたらうっかり保存しちゃって固まった話です。

私は今までブログデザインを全くいじらずに今日まで過ごしてきたんですが、それは決してめんどくさいからでも「外見なんて二の次、ブログは中身で勝負じゃ!」とか考えていたからでもなく、単純にそんな難しそうなことできないに決まってんだろ!というチキン心からでした。

そもそもはてなでブログをやろうと決めたのは「初心者でも簡単にできるよー見たまま編集とかあるよー」という一文を見つけたからというヘタレ感満載の理由だし、そんな自分がブログのデザインをいじるなんてできっこない、しようと思うことすらおこがましい、くらいに考えてました。ファッション誌をレジに置けない非リア大学生みたいな気持ちだったわけです。また記事を書くのに携帯を使うことも多かったため、こんなちっこい画面でレイアウト?とか考えられるか!そもそも変更画面が見つからねえよ!と、必死に自分への言い訳を並べ立てていました。

が。ついさっき深夜のテンションに身を任せて、ついに「ブログのデザインを変える=ファッション雑誌のコーナー」に足を踏み入れたところ……!!

なにこれすごい!!「レイアウト管理とか無理」という一点のみの不安から四年もブログを始められなかった非リア非モテ大学生が、まるでリア充ですよ、みたいな顔で練り歩けそうなお手軽且つおしゃれなレイアウトがいっぱい!

テンションが上がり、調子に乗った非リア大学生は大喜びで様々なデザインを試しました。もっさりした内容の記事も、かっこいいデザインの背景で見ると良いこと言ってる感じに見えてきます。我を忘れてあのデザイン、このデザインととっかえひっかえ試していると_____カチッ

 

あ…保存、しちゃった……

 

リア充気分で雑誌を選んでいるときうっかり鏡を見てしまった非リアの気持ち、分かって頂けるだろうか。

強烈な羞恥心!しかもよりにもよって特にスタイリッシュなデザインのやつ!慌てて戻そうとするもやり方よくわかんない!

自分が機械音痴なことをようやく思い出し、仕方なくとりあえずは地味めで無難なレイアウトに設定し直し、ようやく一息入れる始末。

もう(技能的に)戻れない初期設定のブログに思いを馳せつつ、

新デザインのブログで頑張っていこうと思います。

 

 

今回のことで吹っ切れたから、またデザインいじるかもね!(こりない)