おかゆにっき

考えたこと思ったこと不思議なことをまったりもだもだ

いまだに覚えてる先生の話3

高校時代の先生がしてくれた話

日本にはいろんな文化が舞い込んできて、いろんな価値観が輸入されてくる
その中には道徳や倫理なんかももちろん含まれてる。それを勉強することは決して悪いことではない。
でも忘れないでほしいのは、それを本当にそのまま、丸ごと受け入れなくても良いということ。
日本にはずっとずっと昔から受け継がれてきた精神が確かにある。それを大事に磨いて、認めることを忘れてはいけない。
例えば私がこの教室の窓から「私は死にます」と飛び降りようとしたとしよう。この階から落ちれば間違いなく死ぬ。その時君たちは「あっ」と思って止めにはいるだろう。きっと誰も「この先生をここで止めなければ○○だから止めよう」なんて考えてはいられないだろう。もちろん事故でも一緒だ。小さな子供が高いところから落ちそうになっている。車道付近を一人でフラフラ歩いていて車に轢かれそうになる。その時君たちは「あっ」と思って、「子供を助けなければ」と考える前に動くだろう。
これこそが私達の良心であり、道徳だ。
君たちにはなにもないなんてことはない。確かに受け継がれているものがある。それを大切にして、守ってほしい。

これもまた大まかな話の流れ以外思ったより忘れていた。着地点があそこだったのかもあやふやだ。でも、そういう話をした教師のことを、私は忘れられない。そう思うのはもともと私がこういったジャンルの話に特別な興味を持っていたからかもしれないけれど、でも、一生懸命、時に息を切らしても、高校生にこんな話をした先生が私は好きだったし、尊敬していた。
ほんとに最後の最後はよくわかんない話になったけど。
いまだに覚えてる先生の話でした。

かっこわるいけどかっこいい人の話

基本的に正しくてかっこいいことはやるのは難しくても苦痛ではない。やればやるだけ自信も評価もついてくるし、辛くてくじけそうになったときは助けてくれる人もできたりする。正しいことをするのは難しいからもちろんそれに関する大変さはあるけれど、自信と誇りを持って生きられる。それはとても素敵なことだ。
一方、正しいけれどかっこ悪いことをするのは難しい上に苦痛だ。やればやるほどなめられたり笑われたりすることも増えるし、辛くてくじけそうになっても慰めてくれるのはお酒だけ、なんて話も無くはない。正しいことをしているのに認められることは少ないし、何より自分の中で消化するのに時間がかかる。誰かがどうしてもやらなければならないことをやっている。それなのに自分すら自分を認めてあげられなくて、それでも歯を食い縛ってやらねばならない。
もちろんそれができる人は厳密にはかっこいい人だ。でもそれを見抜いて評価してくれる人はそう多くない。みんなヒーローみたいにかっこよくて強い人が大好きだからだ。できないからこそ最高に強くてかっこいい人に憧れるのだ。もしかしたら自分にもできるかもしれないけど端から見てるとかっこ悪い。だからやりたくないけど、それができてる人はなんだか妬ましい(かっこいいからね)。だからことさらに笑って「かっこ悪い」と言いたくなる。嫉妬だと気付かないままに、もしかしたら自分が憧れたかも知れない人を笑うのは悲しいことだ。そしてそんな悲しい人が吐いた言葉で、かっこ悪いなあって思いながらそれでも必要なことをきちんとできる強くてかっこいい人が笑われたりバカにされたりして疲弊するのはもっともっと悲しいことだ。
世の中にはこんなかっこ悪いけどかっこいい人がきっとたくさんいる。そしてその中の多くの人が「かっこ悪いなあ」と思いながら、自分がかっこいい人であることに気付かないまま生きている。それでも歯を食い縛って頑張っている。私はそんな人たちを見付けられる人間になりたいと思うし、かっこいいなと尊敬している。

貧乏揺すりは人のは気になるけど自分のは気にならない話

久しぶりすぎて理解してもいなかったブログの書き方を忘れてしまった
仕方がないのでさっき考えたことをそこはかとなく書き付けようかと思う
貧乏揺すりは人のは気になるけど自分のは気にならない話

自分の貧乏揺すりは気付かないことすらあるけれど、人の貧乏揺すりは気になって仕方ない
自分が出す音は気にならないけれど、人が出す音は気にさわる
自分が触ってもなにも感じないけれど、人に触られると気持ちが悪い
自分の意識下にある動き、自分の意識下にあるリズム、自分の意識下にある現象はそれがどう動くか、何を意図しているのかがわかっているから不快には感じない
しかし人が出す音はそれが何を意図しているのかがわからない。爪が机を叩くリズムは本人の頭の中に流れるリズムであって、周りの人間には不規則で不快な音にしかならない
誰しも経験はしたことがあるのに、ただそれだけを理解するのは難しい
同じ原理でも状況が違えば気付かずにやってしまうし、他の立場の時は納得して多目に見られたものが別の立場になると出来なくなってしまう
人が学ぶことの難しさは、同じことを何度も何度も繰り返して理解しなければならない所にあるのかもしれない

なんでこんな話になっちゃったのかよくわからないけど、貧乏揺すりは人のは気になるけど自分のは気にならない話でした

いまだに覚えてる先生の話2

結構前になりますが、金曜ロードショーで『おもひでぽろぽろ』やってましたね
かぐや姫の物語』公開記念だったっけか
あれ見てると不安定でごちゃごちゃしてた幼少期の不安とか不満とか
いわゆる黒歴史思い出していろんな意味でしんどくなりますね

まぁでも今回思い出したのはそんなあらゆる意味でツラい記憶ではなく
未だにひっかかってる先生のお話です

あれは多分小学校中学年くらい
運動会が終わったあとの、ちょっと脱力した学校でのこと
私のクラスは優勝したチームの一部だったので、運動会が終わってもなんとなくテンション高く日々を過ごしていた気がする
今思うと、もしかして浮かれた雰囲気を落ち着けようという意図もあったのかな
ホームルームで、担任の教師からこんな話があった

大縄跳びで優勝したチームの話です
どのチームもみんな一生懸命縄跳びを飛んでいましたが、最後まで残っていた二つのチームのうち、一方がついにひっかかってしまいました
もう一方のチームは大喜びでした
しかしそのチームの班長が、あまり喜んでは負けたチームに悪いから止めようと言いました
先生はとても感動しました
皆さんもその班長さんのように、勝利したその瞬間にも思いやりを忘れない人になりましょう

大体こんな内容だったと思う
効果は絶大で、その話以来生徒間で運動会の話題はほとんど持ち上がらなくなった……かどうかは覚えていないが、しかしその内容だけはどうしても忘れられない
恐らく、子供心に納得がいかなかったのだろう
今はその幼少期の私の言いたかったことを言葉にすることができる
いやはや年は取ってみるものだ

私は喜ばないことの方が、相手には侮辱に当たると思ったのではないだろうか
元々プライドの高い子供だった
自分に勝っておきながら喜びもしない相手チームを見る方が屈辱的だ!とかね
あとは、単純に悲しかったのだろう
自分達が努力した結果手にした勝利
大喜びしていたら、まるで思いやりの無い子供のように言われてしまったことが
まだまだ幼いがきんちょだった私は、素直に担任の先生が好きだったから、悲しみもひとしおである
先生も喜んでくれたし、誉めてくれたのになぁ。と拗ねる気持ちもあったかもしれない

競争させない社会がうんたら、とか
難しげな話をする気はないが(というかそんな話はできない。わりと戦いたくない日より見主義者である)
頑張って手に入れたものを喜べないことも
引いては頑張らせてもらえないことも
けっこう悲しいことではないだろうか

習慣になっているということ

なぜだかわからないけど、Twitterに入ることが出来ずにモヤモヤしている。
どうして入れなくなったかは特に調べていないし、そこまで毎日一生懸命呟いている訳では無いのでまぁそのうち直るだろうと放っているのだが、なんとなく座りが悪い。
日頃から癖のように開いてはタイムラインをぼんやり眺めていたので、つい習慣で青い鳥をタップしてしまう。もちろん調子の悪いTwitterは新しいタイムラインを表示してくれることはない。それなのに気がつくとまた、入れないと解っているTwitterにアクセスしようとする。
習慣になっているということは案外頭でどうこうできることではないらしい。わかっちゃいるけど止められない、というのはただの怠け者の言い訳とは少し違う様だ。習慣というのは頭ではなく、身体が覚えていることらしい。
煙草を吸う人は無意識のうちにポケットから箱を取り出し、ライターを使って火を着ける。毎日帰宅してすぐに夕食を作る主婦は何も考えなくても足が勝手に台所へ向かう。若者は何をしようと思うわけではなく、手癖で携帯をいじる。習慣とはつまり癖だ。自分の癖を逐一把握している人はいないように、自分の習慣を逐一把握している人もまたいないはずだ。
コンビニに入って店を回る順番、無意識に買ってしまうあれこれ、いつの間にかたどり着いている駅、決まって立つ乗車位置。
誰もが意識的にやっていると思いがちで、しかしその実自分でも知らない習慣。一つずつ突き止めて、今度こそ意識的に「こうする」と決め、それこそを習慣になるまで続けられたら。
案外簡単に、負担を意識せず、生活を丸ごと変えられるのかもしれない。

風呂ってすごい

明けましておめでとうございます
新しい年を迎え、これまでのことこれからのこと、ぐるぐるいろんなことを考える時期ですね
私は考えすぎて気分を悪くするタイプなのですが、そういうときは風呂に入ります
風呂は不思議な空間です
全裸で湯に浸かったりシャワーを浴びたりしている間はとりとめもないことからディープな不安まで浮かんでは消え消えては浮かび、頭の中は非常に忙しいことになります
しかしひとしきり考えて風呂を出ると、風呂の中で考えていたことはしばらくの間思い出せなくなるくらいすっぱりさっぱり消えてしまうのです
浄化作用でもあるのか、水の中に溶けて流れてしまうのか、定かではありませんがこのさっぱり具合はなかなか気持ちの良いものです
本当にみんな消えてしまうので良いアイディアが浮かんだときは焦りますが、そこは浴室でも使える耐水メモ帳でも用意しましょう
気持ちがもやもやするときは、風呂でまったりひとときを過ごして、身体の疲れも頭の中もリセットできると良いですね

いまだに覚えてる先生の話 1

授業中
ホームルーム
廊下での立ち話
先生は様々な場所で様々な話をしてくれるもの
しかして、若い生徒達は教員の長ったらしい話なんてろくすっぽ聞きやしない
ぼんやりしたり
友達とひそひそお喋りしたり
はては居眠りの子守唄
それもまたそういうもの

かく言う私もそういう不真面目な生徒でしたが
どういうわけか覚えている先生の話がいくつかあります
もうずいぶん前の記憶で、所々想像で補いもしますが、ひとまずこれ以上消えないように忘備録もかねて


大昔の中国に、一人の男がいた
当時は一夫他妻制の時代
男にも(羨ましいことに)三人の妻がいた

一人は輝かんばかりに美しい顔を持つ妻
男は彼女の顔を眺めているだけで幸せな気持ちになれた
彼女を美しく着飾らせてその姿を眺めるときが男の至福の時間だった
妻が求めるものはなんでも与えたし
彼女が美しくあることが男の幸せだった

二人目の妻は一緒には暮らしていなかった
彼女は少し離れた所に家を持っていて、そこに一人で住んでいた
しかし二人は仲むつまじく互いの家を行き来した
男は彼女と話すととても愉快な気持ちになれたし、彼女もまた彼との時を大切にした

三人目の妻は、いつも男について回った
何をするにも隣にいるし
男がなにかやましいことをしようとすると、
そんなことをして良いのですか?
また何かを見て見ぬふりをしようとすれば、
本当にそんなことをして良いのですか?
とにかく横から口を突っ込んできて、男は気の休まる時がない
どんなに叱っても彼女は気がついたら男の隣でにこにこしていて、男は彼女が苦手だった

そんな男が、仕事の関係で遠い国に行くことになった
男はあの美しい妻に言う
遠い国に行くことになったが、お前はついてきてくれるだろう?
しかし妻はびっくりして、男の頼みを跳ね退けた
とんでもない!そんな遠い国!
私はここに残ります!
男は妻の言葉にがっかりして、仕方なく二人目の妻の所へ行った

二人目の妻は男を暖かく迎えたが、話を聞くと残念そうに言った
私もそんなに遠い国へは……
でも、道の途中までお見送りします
男は二度も妻に断られて大層気落ちした

と、隣を見ると三人目の妻が何かを期待するようにじっとこちらを見ている
男は苦笑して彼女に言った
おまえ、私と一緒に来るかい?
妻はにっこり笑って、
ええもちろん 私とあなたは、ずうっと一緒にいるんですよ

この話に出てくる三人の妻は、それぞれあるものの寓意である
美しい妻とは、お金や財産のこと
離れて暮らす妻は、友人や家族
最後の妻は、魂のこと
この最後の妻には色々な名前があるが、いわゆる良心とか理性とか、人が必ず持っている自分を見つめるもう一人の自分のこと
そして男が向かう遠い国とは、お察しの通り黄泉の国
お金は彼に着いていきません
友人や家族も、まさか着いていくわけにもいきませんから彼を見送ります
しかし魂はその人の内側にあるものですから、黄泉の国へも付いてきます

人は誰しも魂の声を聞きます
ポイ捨てをしたとき
宿題をしていないとき
その声はそれらに注意を促しますし、それは大体とても煩わしいものです
それを無視することはそう難しくありませんが、
最後まで連れていけるのは自分の魂だけですよ
というお話

この話は高校時代の公民の先生が授業で語った話です
中国の古典か何かから引用したのかもしれませんが、出典についての話がされたかどうかすら覚えていません
所か、話の大まかな流れしか覚えていなかったので(書こうとしてみると思い出せないものですね)所々に私の創作が混じっています
妻はもう一人くらいいたような……?

しかしこの話のオチは当時の私に衝撃を与えたらしく、しばらくの間「魂の声」を無視できなくなって困ったものです
実は今だこの声には振り回されがちで、友人に「真面目をこじらせている」と笑われることも……
最近になってようやく聞こえないふりが出来るようになってきていたんですが、これを機にまた大きな声が聞こえてくるようになるやもしれません
いざ遠い国へ行く事になったとき、愛想をつかされていてはたまらないので、
奥さんのいうことは聞くことにしましょうか