おかゆにっき

考えたこと思ったこと不思議なことをまったりもだもだ

最高に気持ち良い昼寝の方法

 こんにちは、おかゆです。今日は前置きなくさくさく本題にはいります。リアルが巻いているので現実逃避にこの記事を書いているのです。シャッと書いてパッと上げてシュンッと準備を始めねばなりません。

 このページを開いたあなたは重々ご存知かと思いますが、昼寝は最高です。昼寝のもたらす幸福感に並ぶものならいざ知らず、勝るものを私は知りません。私の人生が寂しいのではなく、昼寝がそれだけ幸福感あふれすぎ、こぼれた幸せが泉を作るほどであるだけです。

 さて、ではおかゆ流最高に気持ち良い昼寝の方法をここに記そうと思います。どちらかと言えば単身者向けですが、ご家族とお住まいの方も多少方法を変えながら試してみて頂けると嬉しいです。

 

 昼寝をするのですから、もちろん一日休みをご用意ください。前日は好きな本か、落ち着いた映画を見るなどしてほんの少し夜更かししておきましょう。お酒はあまり摂取しないほうが理想的ですが、楽しむ程度なら良しとしましょう。

 季節は初夏が最も望ましいと言えます。天気は晴れ。遠くで雷鳴の響く雨や、日の温かさを感じる程度の薄曇りも悪くありませんが、やはりベストは快晴です。雲は少なければ少ないほど好ましく、さらに普段より少しだけ風のある日であれば文句のつけようはありません。

 休日、天候、身体のコンディションが整ったら、いよいよ昼寝の準備です。まず、朝はきちんと起きましょう。ことさら早起きをする必要はありませんが、6~8時には目覚めておくことが大切です。目を覚ましたら、最初に布団を干します。ベッドの中を空にすることで二度寝防止にもなりますし、夜の快眠のためにも布団を日にさらしておいて損はありません。

 布団を干し終えたら、次は洗濯機を回しましょう。洗濯ものを溜めておいても良いですし、家中のベッドやクッションからカバーをはぎ取ってくるのも良いかもしれません。お気に入りの柔軟剤を使うとより良い昼寝に繋がります。

 言い忘れていましたが、ここまでの工程はテキパキやってはいけません。ストレスにならない程度にゆっくりのんびり、普段より全ての工程を丁寧に行うと良いでしょう。布団を干したらしばらく日向ぼっこをするとか、洗濯機を回してからしばらくは水のそそがれる音を聞いているとか、普段はあまりしないようなことをしてみるのも、落ち着いた気持ちになって良いかもしれません。

 洗濯機が動き始めたら、次は部屋の掃除をしましょう。忙しくしている間にちらかした衣類を片付け、前日放りっぱなしで寝てしまったお皿を洗い、埃がうっすら見えて来た棚を拭き、余力があればお風呂場でカーテンの洗濯に挑戦するのも良いでしょう。

 ここまで動くと流石におなかが空いてきますが、コーヒーや温かいお茶、チョコレートなどで簡単にごまかします。

 さて、床に丁寧に掃除機をかけている辺りで、洗濯機が終了の音楽を流します。まぁ気にせず掃除機をかけ続けましょう。満足いくまでかけたら、洗濯ものを干す作業です。その前に一度手を洗うのを忘れないでくださいね。

 今日の良い天気を楽しむのに、洗濯は最高の機会です。洗濯ものを掴んでパンッと張るたびに、今日は空青いなー、日差しも良い感じだなー、風もあるからよく乾くだろうなー、と飽きるまでいちいち楽しんでください。多少まぬけでもかまいませんから、1人でもにこにこ機嫌良く干しましょう。飽きたらさくっと終わらせて頂いて結構ですが、ある程度丁寧に干しておいた方が今後の気分的には良いだろうと思います。

 さて、洗濯ものを干し切った辺りで、いい加減空腹がピークです。自炊してきれいになった部屋で食事するのが一番ですが、ここまでで疲れてしまった人は近所のスーパーやコンビニでご飯をゲットするか、もう少し凝りたいなら喫茶店でいつもよりちょっと良いメニューを注文しましょう。外出する前にシャワーを浴びて、あまりこだわりがないなら使ったタオルを他の洗濯ものにまぎれないように干しておくと、次にお風呂に入ったときにもう一度利用できて良いかもしれません。

 遅めの食事で良い具合におなかも膨れ、部屋もきれいで、ベランダでは洗濯ものがぱたぱた泳いでいるこのとき、ようやく昼寝にちょうど良い時間帯がやってきます。午後二時です。初夏の昼下がり、二時から三時までの一時間が、お昼寝ゴールデンタイムと言って良いでしょう。

 昼寝に入る前に重要な準備は、家の換気をできるだけ良くすることです。まず、ベランダの窓は全開にし、網戸だけの状態にしましょう。開く窓はできるだけ開き、窓がないなら換気扇を回しましょう。お風呂場の扉や廊下に繋がるドアも少しだけ開け、空気の流れを出来るだけ良くします。

 寝方はこだわりの強い部分ですからそれぞれのお好みにまかせます。が、私のベストは床に寝ころぶことです。ベランダの窓にレースカーテンを引いて、念入りに掃除したカーペットの上に無造作に寝ころび、風にゆらめく白いカーテンを眺めながら、枕とタオルケットだけで眠ることの幸福感! カーテン越しに洗濯もの達の影が浮かび、気に入りの柔軟剤の香りが鼻をくすぐってゆきます。全てはこの瞬間のために整えられたのです。眠る段階に来て、なんとなく身構えてしまう方もいるかもしれません。しかしその力は、今は忘れることにしましょう。この瞬間、そよ風を感じながら、ぼんやり寝転がって、そのままとろとろと眠りにつく快感、それだけを感じれば良いのですから。

 

 

 その後、大体1,2時間で目が覚めます。今度は起きてもしばらくは寝転がって、覚醒前のふわふわした頭を楽しんだり、前日読み切れなかった本のページをめくったりして完全な目覚めを待つのがまた心地よい時間となることでしょう。思う存分ごろごろしたら、洗濯ものと布団を取り込みます。夕方にさしかかる時間、他の家からも洗濯ものを取りこむ音が聞こえてくるかもしれません。布を傷めない程度に布団を叩き、取り込んだ洗濯ものを畳めば、そろそろ一日も終わりでしょうか。夕食は好物を用意して、デザートは和菓子など良いかもしれません。

 

おわり

気が付いたら九月になってたんだけど

 生きてます、おかゆです

 カレンダーがおかしなことになっていることに皆さん気付かれてますか?

 九月ですって。それももう一週間過ぎてますよ。なにを言われているのかよくわかりません。だってこの記事の前で私は新年の話をしてたんです。一月だったんです。なのに今日は九月なんです。おかしくないですか?いや私の頭がじゃなくて。

 

 ブログ放置して年単位で音沙汰のない人の気持ちがとてもよくわかった半年でした。書きに来るほど気力が湧かず、きれいに消すのは忍びなくで、有料というわけでもないから放置しちゃうんですね。おまけに私の場合始めてすぐに放置気味になりましたから仲の良い人とかもいませんでしたし、環境的にも放置しやすすぎた…。

 とはいえこのままというのも寂しい話ですし、あとけっこう前の話ですけど初めてコンタクトレンズ作りに行ったのがなかなか楽しかったんでその話もしたいんですよね~。

 そんなこんなで気力は足りないけどいい加減なんかしら言っておきたかった復帰記事でした。我がブログには枯れ木も山の賑わい的な記事が多すぎるな…。

 まあ良いか! また来ます。

先生と名のつく人を好きになってしまう病気

 おひさしぶりです
 おかゆです
 よく考えると新年一発目の話題がこれっていかがなものかと思わんでもないのですが、今日は私の恥ずかしい病気の話をしようかな~と思います
 特に実のある話になる予定はないので、暇潰し程度の気持ちでどうぞ


 私は物心ついた時から、先生と名のつく人をとにかく好きになってしまう子どもでした
 それこそ幼稚園に通っている時から、友達と遊んでようが一人で絵本開いてようが、先生が近付いてきたら一瞬にしてそちらに意識が飛ぶ子どもでした
 幼稚園の記憶なんてほとんど残ってませんが、掲示物を貼るためのセロテープを切って渡すお手伝いができたことが物凄く嬉しかった記憶だけ鮮明に残っています

 小学生の時に「会釈」という制度を覚えてめちゃくちゃハマりました
 給食当番で小さいおかずをかかえて歩いていたら廊下で先生が歩いているのを見かけて、会釈したさに近付いたら自分の進路からおもいっきり外れてて、ぺこっと頭下げてからそれに気づいて猛烈な羞恥心に襲われたくらい会釈が好きでした(まだ羞恥心引きずってる)
 
 中学ではよくかまってくれる先生がいて、厳しい方だったので生徒からは大体好意は抱かれてなかった上、苦手な数学を受け持っていた先生だったのに廊下でみかけたらめちゃくちゃ笑顔になるくらいなつきました
 他の先生も人気不人気関わらずどの先生にも露骨に媚びてた気がします(まだ羞恥心引きずってる)

 高校の時は新任の先生の名前をなるべく早く覚えたくて机にフルネームを落書きしたら、クラスのギャルに見られて「おかゆさん○○先生のこと好きなんだ~」とか言われて死ぬかと思いました(まだ羞恥心引きずってる)
 以前、「いまだに覚えてる先生の話」という記事で書いた4人の妻を持つ男の話をしてくれた社会科の先生はもうほとんどファンだったんだろうなと思います
 授業終わるたび話しかけてたので、今思うとさぞ迷惑だったろうと……orz(羞恥心引きずってる)

 大学ではなかなか教授と会話できない環境で、だからこそたまに会話する機会があると嬉しすぎてその話を聞かせられた友達がドン引きしてました
 好きな教授の話は興味に関係なく(いや好きな先生の話は大体面白かったんですけど(釈明))ガッツリ聞いてうなずいたり笑ったりの反応を徹底し、個人的な作品を推敲してもらえたときは1日浮わついていました

 ここまでくると最早病気だろう、と思います
 いわゆる「贔屓にされる生徒」になりたくて仕方なかったんでしょうが、特別問題を起こすタイプでも、特別優秀なタイプでもないごくありふれた学生だったのでそういう位置に座れたことはほとんどありません
 学校という狭い社会の中で最も身近な権力者に好かれたい、というろくでもない欲求ももちろんあったことでしょう(というかこれが大部分な気がします)
 しかしもし自己弁護が許されるなら、育った環境にも原因があるのだと主張したいのです(何に?)

 私が育ったのは四国の片田舎で、周りに同じ学年の子どもがいなかったとは言いませんが、圧倒的に大人の方が多い状態でした
 田舎特有のフレンドリーさは言うほどなかったのですが、知らないおっちゃんとバドミントンしたり、近所の老夫婦に可愛がってもらったり、子どもとの交流以上に大人とふれあって育ったように思います
 両親の勤め先もおおらかだったので、夏休みに会社に行くと話し相手になってくれるおじさんがいたり、時々自宅に飲みに来る顔見知りのお兄さんが遊んで(今思うと以下略)くれたりしました
 子どもにとって、大人が相手をしてくれると言うことはとても意味の深いことです
 基本的に大人と子どもは対等ではありません
 大人にはある程度子どもに気を使って喋る義務がありますし、五才以上の子どもには大人と喋る時確実に「話してもらっている」という意識がどこかにあります(私が卑屈な子どもだったのかもしれませんが(笑))
 幼い私には、「中々かまってくれない大人が、自分と会話してくれる喜び」というものが、大変大きな快感だったのだろうと思います

 私には兄弟がいるのですが、私以外みんな男の子で、中々男子の遊び(ゲームやカード)にまざれなかったことも要因の一つかもしれません
 私は遊戯王が楽しめないタイプの女子でしたし、ポケモンは愛でるものでした(今はそうでもないけど)
 その点、子ども同士で話す時の様に喧嘩になることも、我慢することも、途中で別の遊びに会話をさらわれることもなく、最後まできちんと聞いてもらえ、内容によっては誉められることさえある大人との会話は、私の承認欲求をさぞくすぐったことでしょう
 そんなこんなで大人大好きに育った私が、子どもばかりの学校という環境の中で、最も近しい大人である教師に好意を抱くことは、ある種自然な流れだったはずです(と思いたいだけとか言わない!)

 しかしそこはそれ、先生もお仕事です
 別に何の問題も何の長所もない生徒の一人にかかずらわっているひまはありません
 今まで大人にかまってもらう機会ばかり手にし続けていた子どもには信じられないほどそっけない(当事者比)対応に、(覚えてないけど)ショックを受けたことは想像に難くなく、またこれも自然な流れとして、人間は手に入らないものほど欲しがる生き物ですから、ますます先生にかまってほしくて仕方ない子どもが一人出来上がることになるわけです

 
 さて、まさか自分の病気のカルテを作ることになるとは思っていませんでしたが、そんな感じで私は「先生と名のつく人を好きになってしまう病気」にかかってしまいました
 元々大人(この場合は自分より目上の男女)が好きというところに、先生という+αがつくといろんな意味で目も当てられないことになってしまいます
 直したいのは山々なのですが、三つ子の魂なんとやらと申しますし、どうしても直る気がしません
 ……ある意味フケ専の育ち方として良い資料にはなったかもしれませんが


 なんでしょう、まとめるとしたら、
「こんなに大人が好きになれるくらい素敵な大人が周りにいて良かったな―」とか、でしょうかね?


おわり

ゲームについて思うこと

 こんにちは、おかゆです。今回はゲームについて思ったことを書いて行こうかな―と思います。

 ちなみにせっかくこんな時期に書いたのにポケモンを若干ネガティブに書いていることにさっき気付きましたすいません。ポケモン大好きです。(アルファサファイア買ったよ!)

 

 

 まず最初に言っておかなければならないことは、私は特別ゲームが好きとか得意とか、反対にゲームなんて大嫌いで早くこの世からなくなって欲しいとか思っている訳ではないことです。テレビゲームは一年以上やってないんですが、3DSは現役で使っているので、ゲーマーというほどプレイしてる訳ではありません。が、全くやらない人から見ると「ゲームが好きな人」なのかもしれません(まだるっこしい)。

 さて、ゲームの地位は昔ほど低くはありませんが、今も特別高い訳ではないと思います。モンスターハンターや携帯電話でできるゲームなんかはリア充もやってるとか聞きますし、私の周りにもリア充プレイヤーはいるのですが、それでも二十歳を超えてポケモンやってるとは言い辛い気がします。ギャルゲー、乙女ゲーに関してはやってるだけで迫害されそうなイメージすらあり、「クラナドは人生なんだよぉ!!」などと絶叫しようものなら宗教裁判にかけられそうです(!?)。

 なにを隠そう私の父がゲームを若干小馬鹿にしてる人で、DSをいじっていると「まだそんなものやってるのか」とか言ってくるタイプでした。身近にそういう人種がいたせいで逆に偏見がある可能性も否めないというか、実際の世の中とは異なるかもしれませんが、少なくとも私は初対面の人と話すときにゲームの話題は選ばないと思います。

ゲームに意味はあるのか

 解りやすいので父をこのまま例にしますが(あ、おかゆと父は仲良しですし、父は少し古い考え方の人なだけなので特別文句があるとかではありません。あくまで話をするのに便利だから書いているだけです)、曰く「あんなものやっても時間の無駄だし、現実にはなんの影響も無いのに必死になってやる必要性が感じられない」のだそうです。釣りがしたいなら実際海に行って釣りをすべきで、釣りあげたって食べられもしない魚を画面の向こうで釣ったって仕方がない、と。

 まぁ読む方それぞれにご意見はあると思いますが、私もこの話には首をかしげてしまいます。一番思うのは、そんなもんゲームに限った話じゃなくね?というところです。

 音楽を聴く、友達とくだらない話で盛り上がる、小説を読むなど、この世には「それをやった意味や成果」が見えにくいものがたくさんあります。音楽で心が豊かになったり、小説で知識が広がったりした証拠なんて見せられません。同じように、ある素晴らしいストーリーのゲームをやったことによって、心が豊かになっていない証拠も見せられないのではないでしょうか。特にそういったストーリーのあるゲームに関しては、最近プレイヤーを本気で号泣させにかかってくるというか、終了後に映画一本観終わったような気分にさせてくるものも増えているように思います(おかゆは世界樹の迷宮Ⅳに危うく泣かされかけました。そういえば世界樹の迷宮Ⅱのリメイク版 新世界樹の迷宮ファフニールの騎士が来たる11/27に発売されますね。ね!)。

 さらにもっと根本的な話をすると、ゲームをしたり、映画を見たり、マンガや小説を読んだり、音楽を聴いたり、友達と話したりすることに意味や成果なんているのか?とも思ったりします。

 この中で一番わかりやすいのは友達と話すことだと思うんで例にすると、「あなたはどうして友達と話すのですか?」という質問に「友人との信頼関係を育みつつ、他人と交流することで見識を広げ、自分の心を豊かにするためです」なんて答える人はいないでしょう。というかいたらイヤすぎます。同じようになぜ音楽を聴くのか、小説を読み、映画を見るのかと聞かれたら、大体の人が真っ先に「面白いから」「好きだから」と答えるのではないでしょうか。

 ごく稀に「面白いから」だけで動く人を批判する意見を目にしますが、私は楽しいことに一生懸命になる人が時間を無駄にしているとは思いません。ただ楽しいこと、好きなことに夢中になっている時間はその人にとってかけがえのない大切な時間だと思っています。逆に、興味も無いのに「役に立つから」と見たくもない映画を見せられたり、本を読ませられたりする時間の方がもったいないと思うのです。

 個人的には小説を中心に本が大好きなので出来れば読んでもらいたいのですが(唐突なステマ)「どうしても苦手だ」「好きになれない」と言っている人に無理やり押し付けてもますます苦手意識が育ってしまうだけだし、本が好きな人からすれば自分が好きなもののことを理解してもらえていないように感じてしまって(実際には好みの問題だからどうしようもないことなのに無駄に)傷つく原因になったりするので、お互いがお互いの領域を尊重しあうというか、「機会があったら見てみてね」「気が向いたら覗いてみるね」くらいの距離感でいたら良いんじゃないかなあと思います。食わず嫌いの人は夢中になれるかもしれないのでぜひ読んでください。(押しつけ)いやまぁ選択することも含めてその人の自由だとわかっちゃいるんですけど!つい!(反省中)

 ……ものすごく話がそれましたが、こうなってくると時間の無駄な趣味なんてない気がしてきます。と言うか、その人にとって本当に楽しい時間なら、無駄とかそうじゃないとか、些細な問題に見えてきます。その人が本当に楽しいと思っているなら、延々好きな作家の出した本を並べ替え続けるとか、ゴルフボールの凹んだところをマジックペンで塗って行くとか、畳の目を数えるとか、そんな趣味だって否定されるいわれはないのではないでしょうか。

 

ゲームは人と関わらない?

 他にも、「ゲームをするくらいなら実際に人と関わった方が良い」という意見もよく言われます。が、これに関してはそろそろ言われなくなっても良いのではないでしょうか。世はまさに協力プレイ時代です。友達との通信プレイはもちろん、すれ違い通信による「全く見ず知らずの人との協力プレイ」まであります。自分をぼっちだと信じている人さえ、すれ違った人に助けてもらってゲームを進めているような時代です(全部3DSの話なんですけどね!)。

 そうでなくても、そもそもゲームはコミュニケーションツールとして大変優秀です。初めて会った人と趣味が同じだと会話が弾むように、お互いプレイしたことのあるゲームが一本あると打ち解けるスピードも変わってきます。メジャーなゲームならプレイ人口も多く、それだけ仲良くなれる可能性のある人も増えてきます。

 さらに、たとえ周りに好きなゲームをやっている人が一人もおらず、全くすれ違い通信を活用せず、友達との協力プレイもしなかったとしても、ゲームをやっているということは、製作者と関わっているということだと私は思うのです。

 なにいってんだこいつ。とお思いでしょうが、簡単に言うと「小説で「作者の心情を答えなさい」という読み方が有りで、読書が作者の心情に触れることなら、ゲームでだって音楽でだって、同じ読み取り方しても良いんじゃないか?」ということです。この機能はどうしてこんな風になってるんだろう? とか、このキャラクターはどうしてこんなものの考え方をするんだろう? など、人が考え、人が作っている時点で製作者の考えを読みとって楽しむことはできるのではないでしょうか。

 

 とまぁ長ったらしく色々書きましたが、だからといってゲームの世界にのめり込み過ぎて帰ってこられなくなるのもどうかと思いますし、逆に「だからゲームをもっと崇め立て祀れ!」とか言う話でもありません。また、他にもゲームに影響されてどうこうとかいやゲームで発散されるからどうこうとかそういう話にも興味があるんですが、それはまた別の機会に(もう疲れたとかじゃないよ?ほんとだよ?)。

 

 重度のゲーマーでもなくゲーム嫌いでもない私が、日頃ゲームについて思っていることでした。おしまい。

 

 

月がきれいですよー

本日9月8日は中秋の名月らしいので、近所の和菓子屋さんでお団子と兎のお饅頭を買ってきました。私が住んでいる地域はありがたいことに雲ひとつない空模様です。日が暮れれば随分涼しくなりますし、絶好のお月見日和ですが、蚊が怖くてベランダから覗き見するように鑑賞しました。
今日はリアルで緊張とハプニングの連続だったので、気分をあげるためにお菓子を奮発してしまいました。真っ白でオムレツみたいなかたちのお団子にあんこがのっかった可愛い月見団子を、なんと3つも買ってきました。それとは別に赤い瞳が可愛らしい兎のお饅頭も買いましたが、思ったよりお団子一つのボリュームがあるので明日に回そうかなぁ。温かいほうじ茶と一緒にまったり味わっています。あー美味しいなぁ。今日は片付けも明日の自分に丸投げしてしまおう。
それにしても本当に今日の月、きれいですよ。もし見られる環境にあるなら、ぜひちょっとだけでも覗いてみてはいかがでしょうか。
あと、さっき調べて知ったんですが、明日は月と地球の距離が近付いて、いつもより大きな満月になるとか。二日連続で特別な月が見られるなんて、なんだか贅沢な話です。大体夜の10時くらいが一番きれいに見えるそうなので、今日はちょっと月見は無理かな~という人は、一日延期したと思って明日、お月見とかどうでしょう。
田舎に住んでいたので町明かりがほとんどなく、近所の公園で天体観測とか、たまーに学校や町が主催してやってました。月や星を眺めることがそんなに日常生活から離れたことではなかったせいか、こういう天体絡みのイベントが好きです。特に月は一番大きくていつ見てもだいたいきれいで見間違えることもないのでとても好きです。おおざっぱな人間なので、星を眺めるのは好きでも星座を見つけるのは苦手でした。
本当に毒にも薬にもならない記事になりましたが、まぁこのブログの名前、一応「おかゆにっき」なので、たまにはこんな日があっても良いでしょう。
とか言ってる間に3つめのお団子も完食です。食べ出す前は全部いけるかちょっと不安でしたが、うむ、あんがい食べられますね。しかしやっぱり兎は明日にしましょう。美味しかったです。ごちそうさまでした。
さて、ではこんな気の抜ける記事を最後まで読んでいただきありがとうございました。おやすみなさい。

初めてのピアス

 こんにちは、おかゆです。
 本日、生まれて初めてピアスを開けたので、その感想とかを書いていこうと思います。

 ピアスを開けたいという欲求自体は、もう3年くらい前からありました(長い!)。が、私ものすごく痛いことが苦手で、人体に穴を開けるとかもう考えただけで血の気が失せるわーと先送りしまくり。興味はあるんだけど怖すぎて足踏みの永久運動を続けていました。
 しかし、つい先日地元に帰り、たまたま兄弟達と集まったとき、衝撃の事実に気付いたのです。

 私の兄弟、自分以外髪も染めてないしピアスも開いてない……!!

 正直気持ち悪い! 良い若い者が二人以上揃っていて茶髪もピアスもいないのって、想像するより不健全!
 あー停滞するのって良くないことだなーと噛み締めた私は、すぐにドン・キホーテでピアッサーを購入してきたのでした。

 さて、しかし躊躇しまくっていた年月の間に、情報だけはあちこちでちゃっかり仕入れていました。曰く、ピアッサーには二種類あり、自分の手で針を押して穴を開けるものと、バネの力でパチンッと開けるものの二種類があるとか。自分の手で針を押すとか怖すぎます。無理です。押せる気がしません。ここはバネのタイプのものを買うことにいたしましょう。と思ったのですが、バネのタイプのピアッサーがどういう名称で売られているのかわかりません。しかも私が行ったドンキのピアッサーコーナー、そもそも一種類のピアッサーしか置いていないようなのです。

……大丈夫かコレ?

 いやしかし、箱に「痛み軽減ピアッサー」「瞬間ピアッシング!」なんて書いてあるし、多分バネの奴でしょう。より便利なものが売り場に残った結果、自分の手で押すタイプは消えていった、ということなのだろうと思います。細針で痛み軽減、医療用ステンレスで金属アレルギーの方にも対応、特許取得済み。なんだか頼りがいのある文字がいっぱい! これで間違いないでしょう。
 そんな訳で左右にひとつずつ、計ふたつのピアッサーを購入。ひとつ934円で1868円也。ひとつで1200円くらいすると聞いていたのですが、ドン・キホーテさんの企業努力という奴でしょう。ふたつ買うとまとめ買い値引きで268円も値引きして頂きました。ありがたい!(ステマ)

 さて、帰宅後さっそく鏡の前に座り、どこにピアスを開けようか考え出したのですが、これが思った以上にめんどくs難しい!
 ネットに「マーカーで開けたい位置に印をつけると良い」とあったのでマイネーム片手に悩んだのですが、鏡で見ている自分の耳は斜めになっているので、自分で思っている位置とはかなりずれがあるのです。適当に打った印はどうしても左右非対称になってしまい、恰好良くありません。そこで携帯のカメラで真横から見た耳を撮影し、微調整を繰り返してなんとか納得のいく所に印を打つことに成功しました。
 さて、ついにピアッサー様の出番!! 消毒液とティッシュも準備し、若干の手の震えは武者震いと言い聞かせながら開封すると……

これ、手で押すタイプなんですけど。

 えっちょっと待って、手で押す奴なんだけど。え? あれぇ??
 挙動不審になりながら説明書を舐めるように読んでも、透明なビニールに包まれたプラスチック製のピアッサーの形状を見つめても、青いお空に浮かぶ真っ白な雲を眺めても、自分の手で、針を押して開けるタイプのピアッサーなんですけど?
 しかも! もう開封しちゃってるし!! イヤこれ衛生的に元から返品不可の奴かな?! 聞いてたより安かったのってバネのタイプのじゃなかったからかよぉーーーもぉーーーーorz
 かなりヘコみましたが、合わせて1868円。買わなかったことにできるような金額ではないし、人に開けてもらうのは(お医者さんは別にしても)むしろ恐怖を煽るだけな気がするし、えぇいもうしょうがねえ! これで開けてやるぅううう!!! (ヤケクソ)
 耳たぶを丁寧に消毒し、印の位置を確かめ、ピアッサーを設置。中途半端に刺さって止まるとか怖すぎるし、ここは一思いに____ごめん、ちょっと待って

 やっぱ怖い! 自分で針刺すとか怖い! だって刺さってない段階でチクッてするんだもん!! これ針だなってわかっちゃうんだもん!!
 と、そういえばピアスを開ける前に耳を保冷剤で冷やすと良いと聞いたことを思い出しました。友人が「開ける瞬間はともかく、開けた後は逆にジンジンしてきそうじゃない?」とか怖いことを言っていたのでする気はなかったんですが、この際開けた後のことなんかかまってられません。本当はタオルに包んだ方が良いんでしょうが、決意が鈍らないうちに冷やしたい! と直接保冷剤で冷却。おお冷たい! 感覚なくなってきた! 良し、行ける!!

ガチッブチブチッカチン……

 __あれ? あんまり、痛くない?
 未知の痛みに怯えすぎだったのか、保冷剤が良い仕事したのか、脳内麻薬でも出てたのか、体感としては思ってたより痛くありませんでした。それより耳たぶを貫通したときの衝撃?なのか、ぶちぶち何かが切れるような音とか、指に残るざらついた感触とかの方が気になった気がします。
 ともかく! ひとつめのピアス、貫通成功!
 しかし、あんなに吟味して決めた印を完全に無視して開けてしまったようです。どうやら恐怖のあまりピアッサーを不必要に握りしめてしまい、針がセットした位置からずれてしまったらしいのです。でもまあ、運良くそう不自然な位置に開いた訳でもありませんし、瑣末なことにすぎません。私が自力のピアッシングに成功した、その事実だけがあれば良いのです。もう片方の位置を、今開いているピアスの位置に合わせて開ければ万事解決。これで私も新たなる一歩を踏み出すことでしょう。ピアス、怖るるに足らず! 調子に乗ってもう片方のピアスもバチーンッと……あれっなんかさっきより痛い!?
 
 そう、私は耳たぶを冷やしてからピアッサーを使ったのですから、冷やさずに開ければさっきよりは痛いに決まっています。それでも物凄く痛いという訳ではなかったのですが、完全に怖気づいた私の手はピアッサーを最後まで押し込まぬまま力を抜いてしまい。

ふたつめのピアッシング、失敗。

 しかも中途半端に刺さった針を抜いてみると、明らかに左右の位置がずれています。開けられていたとしても失敗だったという二重の失敗! 浮かれた分恥ずかしさも二倍です。
 そんな訳で、半分成功半分強失敗という微妙な結果に終わりました。刺せなかった方の穴は後日お医者さんに開けてもらおうと心に決めつつ。とりあえず、新たな半歩を踏み出したのでした。

冬と火傷と変温動物

もうすっかり夏真っ盛りとなりましたね。
今は台風の影響か気温自体は低いんですけど、湿気は酷いのでカビとか出ないかヒヤヒヤします。奴らとはとことん相性が悪くて、くしゃみ出たり喉痛めたりするんですよねぇ。
まぁカビの話はどうでも良いんですが。

暑くなると熱中症とか怖いしあと普通に不快なんで、エアコンを使います。お店とかも、近くのスーパーが超エアコンかけてて入った瞬間「寒い!」って思うレベルだったりします。そうするとやっぱり身体は冷えるので、こないだお風呂に入ったとき、40度のシャワーがめちゃくちゃ熱く感じてびっくりしました。背中にザァッてかけたら電気走ったみたいにピリピリ来て、一人でしばらく悶絶。あの痛みってなんなんでしょう?

話は変わりますが、時々変温動物のへぇ~なエピソード(?)を聞きます。特にカエルなんかの両生類の話なんですが、彼らの体温からすると人間の手のひらの温度は大変高いので、素手で捕まえられると大火傷をする、という内容で、まぁそこそこ有名なので聞いたことある方もいるんじゃないかと思います。
それが本当なのかどうかは知らないのですが、もし本当なら悪いことをしたなぁと思います。昔から虫とかカエルとかひっつかまえるの大好きで、カエルなんか手の中に閉じ込めてつれ回してた時期があるのです。カエル側からしてみれば焼けた鉄の球体に閉じ込められてるようなもんだったのかと思うと、完全に拷問です。どこぞの拷問器具に似たようなものがあったような~とか考えると、もう本当申し訳ないです。カエル、ごめん……。

さて、このカエルの話を聞いてふと疑問に思ったのですが、これ、人間には起こらないのでしょうか?
いや、人間だって自分の肌と比べて極端に高い温度のものに触れれば火傷をするんですが、そうではなくて。たとえばエアコンに冷やされる。では多分起こらないので、真冬。3、4時間雪の降る屋外でぼーっとベンチに腰かけてた人が、ふと思い立って暖かいお茶を飲むとか。いやいやお茶ではなく、家に帰って暖房もろくに着けず風呂場へ直行し、さっさと熱いシャワーを頭からかぶるとか。そうした時、人間の肌は火傷を負うことはないのでしょうか?
真冬に買った自販機の缶が、実際の温度よりもとても高く感じて、素手では握れなかった。なんて経験はないでしょうか。私は痛みにものすごく弱いので、この手の情けない話には事欠きません。冬場の缶はプルタブを開けるには缶が冷めなければならず、缶が冷めていれば、中身もまた冷めていて……みたいな、本末転倒な事態にも遭遇します。人間は恒温動物ですが、外から冷やされれば普通に体温は下がりますよね。その状態は、変温動物と何か差があるのでしょうか。
と、ここまで書いてなんですが、別に着地点はありません。(!?)
いやなんか、不思議だなー。もし火傷するなら危ないなー、気を付けないとなー。くらいのテンションで書き出したので、着地のことをなにも考えていませんでした。えーと……
実際にカエルは人の手で火傷するのか、同じ現象は人間にも起こりうるのか。
ご存知の方はぜひ教えていただけると嬉しいです(丸投げ)